もう会社にお金以外のことを求めるのはやめました。
自分を見失わずに働くために、考えた結果、タイトルのような考えになったというお話。
今まで
あるきっかけでこのような考えになったのですが、それ以前の私が会社に求めていたものを整理してみます。
- お金
- 成長の場
- 仕事のやりがい(社会の役に立っている感)
- 社内の評価やリスペクト
- 自分のポリシーへの理解
- 上位の方針の合理性
- 社会的な見られ方
こんなところです。
ノーマル状態の時から残業、休日も気が向いたときには仕事していました。 テレワークであり残業も見込みみたいな制度ですので、ホントにプライベートと境界無くやっている感じ。
ワークアズライフというのでしょうか?フリーランスを始めとする多様な働き方に対して使う言葉かもしれませんが、それに近い環境や考え方でした。
きっかけ
きっかけは、とあるプロジェクトでした。 それは普段とは違う複数部署・複数システムで連携するもので、プロジェクトの規模は小さいのに関わる人間が多いプロジェクトでした。
この関わる人間が多いというのはとにかく厄介です。
若いときは文句を言いながら、噛みつきながらやっていても問題なかったです。(影響力もないですし) ですが、ある程度の年次になってくるとそうも行かず、合意形成をとることが必要になってきます。
別部署になるとビジネスレベルでのミッションや文化、価値観も異なってきますので合意形成はなかなか骨が折れますし、そもそも会社としてどうなんだという更に上層への不満も溜まります。
最近
そんな愚痴っぽいのはさておき、最近ではそもそも会社に求めすぎていたなということを自認しました。 期待をするから失望があるのです。
ただ淡々と、できることはできる、できないことはできない、おかしいことはおかしいと捌いて、何も迷わないようにすべきだと思いました。 価値基準はシンプルに合理的かどうか。理にかなわないことを言われたとしても、「そのぶん時間と労力がかかるので」と言い切ってしまい、イケてない選択によるマイナスを自分が受け止めないようにする。
周囲からの評価を得ようなどと欲が出ると自分が無理してしまうので、欲を抑える。
会社はあくまで生活の一部に過ぎず、お金をもらうということだけを期待したら良いということを悟りました。
ワークインライフというのでしょうか?
ワークアズライフとワークインライフの違いがあるのかないのかよくわかりませんが、個人的に定義すると
- ワークアズライフ:仕事は人生に溶け込んでいるもの(仕事 ≦ 人生)
- ワークインライフ:仕事は人生の一部(仕事 = 人生×1/4 とか)
という感じ。ワークインライフは一部を強調したい。
そもそもワーク≒仕事であって、ワーク≠会社員としての職業な気がしてきた。
私も、人生のためにはいろいろとワークしてもいいと思っているが、それが会社での働きとは限らない感じにしたいんだよなぁ。
なんか書きながら自分の指針が決まってきた感じがしています。
やめること
忘れぬよう、明示的にやめようとしていることを書いておきます。
- 会社の人とのお酒の付き合い
- 会社の人との昼食
- 頼まれごとを引き受ける
- 無理をする
- 残業
注意事項
とはいえ若いうちからこんなことしていると、一向に出世せず給料が上がらない可能性はあるので、ある程度の立場までは頑張ったほうが良いです。
私はギリギリ労働組合に所属する側くらいでゆらゆらすることをオススメします。(課長とかにはならないようにする)
オススメの本
全然仏教とか詳しくないですが、これは良かったです。